Prologue
鬼太鼓座(おんでこざ)は、1971年に結成されたプロの創作和太鼓集団です。組太鼓を「コンサート形式(舞台興行)で演奏する」という新しい太鼓演奏スタイルを全国に広めた日本で最初の太鼓芸能集団です。
結成当初は佐渡を本拠として共同生活を送り、徹底した走り込み、褌姿での演奏、現代音楽とのコラボレーションといった真新しい手法、演出で国内外で注目を集め、現代の和太鼓ブームの火付け役となったとされます。
現在は埼玉県・東秩父村を本拠地として活動を続けています。
HISTORY
(以下Wikipediaより)
1970年ごろ
学生運動により大学中退後、民俗学者宮本常一の影響で日本放浪をしていた田耕(でんたがやす、本名・田尻耕三)の発案により、佐渡に「北前船により広がった文化を再構築する」ための四年制大学『日本海大学』と、日本の民俗芸能や工芸を学ぶ『職人村』」設立の資金獲得を目的に結成され、当初は太鼓をはじめとした日本の伝統芸能を海外で演奏することで資金を獲得して7年後の大学設立をもって解散する予定だった。
本拠地となった佐渡では、現地の郷土芸能「鬼太鼓」を「おんでこ」と呼ぶため、「鬼太鼓座(おんでこざ)」と名付けた。結成当時は、宮本常一のほか、同世代の文化人や活動家・芸術家などが多数田耕に協力・支援した。
1975年
練習にマラソンを取り入れ、1975年にボストン・マラソンに参加、全員完走後、ゴール地点で大太鼓を披露するパフォーマンスで話題となる。ボストン交響楽団指揮者だった小沢征爾に誘われて共演し、以降ほぼ毎年欧米を中心とした海外公演を行なう。
田耕が「わらび座」という民族歌劇団に一時期関係していたこともあり、鬼太鼓座の演目は日本古来の民族伝統芸能的傾向が強く、「屋台囃子」や「大太鼓」といった代表曲のほか、小澤に紹介された現代音楽家・石井真木が鬼太鼓座のために書き下ろした新打法による和太鼓曲も手がけ、舞台芸術としての和太鼓を飛躍させました。
1981年
田耕は当時の座員を残し佐渡を去り、鬼太鼓座の名は長崎に移り、佐渡に残った座員により「鼓童」が結成されました。
1990年〜
3年に及ぶアメリカ大陸一周マラソンツアー以降、鬼太鼓座はより独創的なパフォーマンスを展開。「アジアのオーケストラを作る」という田の発想の元、二胡、洋琴などのゲストを多用する期間が2000年頃まで続きます。
2000年
富士山の麓、静岡県富士市の合宿場を拠点として富士山の麓、静岡県富士市宮島に移転、「富士の山 鬼太鼓座」となります。
2001年
田耕、他界。
松田惺山が音頭取となり、代表取締役の細川和子の私財を投じて「第四期鬼太鼓座」となり、現在に至ります。
第一期座員(佐渡の国・鬼太鼓座)
田耕 - 創立者。1931年(昭和6年)12月7日浅草生まれ。早稲田大学文学部中国文学科在学中の1952年(昭和27年)に早大事件に関わったことで大学を追われ、宮本常一のすすめで日本を放浪中、奄美大島で太鼓に出会い、佐渡で鬼太鼓座を結成。グループ結成や太鼓打ちのイメージは子供のころに見た阪東妻三郎主演の『無法松の一生』に基づく。
のちの鼓童創立メンバー(河内敏夫、林英哲、青木孝夫、大井良明、大井キヨ子、風間正文ほか)
第二期座員(長崎・鬼太鼓座)
- 今福優(石見神楽名手)
- マルコ リンハート(太鼓座)
- 宮崎春而
- 中村浩二(アメリカグラミー賞受賞者、元秀明太鼓リーダー)
- 高久保康子(第六期鬼太鼓座現役)
- 橋本光弘(元TAOリーダー)
- 時勝矢一路(本名・井上一路・(双子ユニットAUN(井上公平、井上良平)の実の兄)
- 山本茂
第三期座員
- マルコ・リンハード
- 高久保康子(第六期鬼太鼓座現役)
- 山本茂
- 井上公平(AUN)
- 井上良平(AUN)
- 中ノ島壱太郎(壱太郎)
- 立石鈴太郎
- 安里優徳
- ケルビン・アンダーウッド
- アート・リー(東京国際和太鼓最優秀受賞者、TOKARA)
- 他
第四期座員(以後 富士の山 鬼太鼓座)
- 松田惺山
- 細川和子
- 高久保康子(第六期鬼太鼓座現役)
- 中ノ島壱太郎(壱太郎)
- 吉田敬洋(第六期鬼太鼓座現役)
- 陽史(現・和楽器集団独楽代表)
- 瀧川佳宏
- 他
第五期座員
- 松田惺山
- 高久保康子(第六期鬼太鼓座現役)
- 吉田敬洋(第六期鬼太鼓座現役)
- 若林祐介
- 久保谷優
- 中村大
- 鈴木一生
- 他
第六期座員
- 松田惺山
- 高久保康子
- 吉田敬洋
- 若林祐介
- 久保谷優
- 鈴木一生
- 町田来稀
- 小田智春
- ニコラス・ヒル
- 北井春輔
- MUGEN YAHIRO
- 他